全国中学生スピードスケート大会が4日間に渡り開催されて、終了しました。土日は予選で実力的には問題ありませんが、決勝の組み合わせやスタートで飛び出した選手の転倒で運を使い果たすこともあるのでやはりハラハラ。連日宿泊も予算的に厳しいので、1泊毎に帰宅。月曜日は頑張って自走で長野市を目指すも、決勝を見れなくてホント一生後悔(泣
最終日はおとなしく観戦モードで、朝からホント何してた?ってくらいあっという間に閉会式でした。それだけ張り詰めたので、終了後はぐったりで、昨日は週末のスケートの刃を調整で出かけたり、夕方はGRM練習でエンド折るトラブルで・・・。ようやく通常モードに軌道修正です。
さて、大会は5000メーター大会新記録で、優勝。現在のオリンピック選手である、
中村選手が持つ記録が2009年に出されてから、異次元の滑りで誰も出せないだろう!と思われていたのに、約2秒更新。
翌日の3000メーターも、中村選手の記録を5秒更新。9年ぶりに塗り替えての大会新記録で優勝でした。
県大会ではとても出せない記録でしたが、運気と強運を引きつける難しさを本人も感じたと思います。
そして、レース中は約7分と4分の周回の中でのサポーターからの情報も重要なのが、面白いところ。一周毎に刻まれるラップタイムから予想タイム表があって、その結果予想タイムを追って試合を進める。トップタイムとれだけ先行するか?速いペースなのか、選手の特性によっても違うし、入りから上がりのペース配分を周囲の3人ほどでまとめて、コーチが情報を元に最終的に指示。
選手は体内に日々刻まれたラップタイムをペースにして、自転車とは違うギア比がないために、歩数や速さと力加減でコントロール。更には、滑りながらにしてコーチからの指示と電光掲示板でライバルとの差を確認する作業。全てを普段の生活から聞き入れていた、聞く力と冷静に進める判断力で試合を進めていきます。
最終的には精神力が最後の最後までを限界まで追い込み、優勝へと導くことだと痛感しました。
さらには、その周囲の環境もスケートの審判まで務めるクラブの保護者の方もいて、その様子はもはやピットクルー。応援したい気持ちもあるけど、そこの指示が聞こえるように(叫んで応援しても、本人には聞こえてないらしいけど)応援団が途切れるコーナーなどで観戦が親の役目何のかもしれません(笑
トドメには、長野市は5000の決戦日の3日目は雪に見舞われましたが、それも一つの運気。低気圧が来ることで室内リンクは氷の状態が滑るようになり、記録を出しやすくなることも影響するそうです。また、宿舎までの移動する最中に、滑りについてもクラブ員との話の中で、滑る歩数の話題となり通常歩数を変えてやると言う作戦を友達同士で熱弁して、ぶっつけ本番が良かったようです。それは、ほんと友達がいて良かったと。
長野県選手が優勝したのは3年ぶり。クラブの先輩方だけでなく、2冠という記録は近年は大会全体でもホント初の快進撃でした。
それでも、数少ない先輩方との一緒に滑った練習の感覚は裏切らない。という事をイチドン本人が感じ始めて、毎年積み重ねた努力が勝ち取った結果だったと思います。
スポーツから元気を!
今回の優勝は伝説を追いかけ始めた第一歩ですが、中学では校内唯一のスケーターで、後輩は誰一人入部してこない、廃部になってしまうであろう現実。学校の枠を越えてのクラブで存続も大きな力だったと思います。小学から中学になると一気にやめてしまう。大半は親の都合もあるのですが、スケートに関心がないのかも思っていました。しかしながらも、小学校で関わった先生方からすぐに連絡が。そのとある先生のお陰で、小学生時代は全校生徒100名も満たない学校で30名ほどのスケートクラブで滑っていました。我が家もそれ程スケート熱がありませんでしたが、強制ではないスケート大会でエムウエーブに行きましょうと誘われ、初めて見た室内リンクのMウエーブに我が子が滑ってる!と、手作り校庭リンクから最先端のリンクを見た感動は今でも鮮明に覚えています。まさに、甲子園を目指す球児のように、目指すものはその大会だと小学生時代は頑張っていました。
その後も、沢山の一緒に滑った子供達の親御さんから連絡をいただきました。また、スケート場でお会いする小平選手のお母さんが受付にいるから話したり、市営施設の受付で会う方からも地元のスケート熱の凄さを感じます。また、新聞の経済効果もあるとは思うけど、マウンテンバイクを新聞記事に取り上げて頂き地味に普及活動も(笑
今週末は直ぐにJOC(ジュニアオリンピック)で出場のイチドン。今週は唯一今日学校出席したら、すぐに明日から3日間大会です。コーチからは、会場で練習するよね?何て言われてましたが。その後は韓国交流と競技会とスケートシーズンも大詰め。
一方で僕も東京CXでお台場へ。我が家はレース好きですね(笑